
朝、フトンを出るのがおっくうな季節になってきた。とは言え、今日は煮熟だ。
「明日はカマタキだから朝早いよ。」
と言われたのはきのう、水槽に浮かんだ
三椏の束を見ていた時だった。
工房に入って左側の壁には長方形の水槽が2つ、壁に沿って細長く並んでいる。
手前の水槽は原料を水に浸けたり、アクを抜いたりするタンク、向こう側には、
簀桁を浸けたり洗ったりするタンクでどちらも内側にはタイルがびっしりと貼られている。
原料の束は普通、乾燥しているので煮る前に水に浸けておかなくてはならない。
三椏は夏は1日、冬は2日、楮、雁皮は冬2日間水浸する。
工房にはいると、既にゴーゴーというバーナーの音が聞こえてきた。
「すみません。遅くなって」
「これからサキソを切るところだ。やってみるかい?」
タンク内の三椏の束はバラバラにならないように括られていた。
今は括りを取った状態でタンクのへりにのせられている。
「三椏は三年草で根本と先の太さが違う。だから先の細い部分は煮る前に切り取って煮ている途中で入れるんだ。」
元煮法(もとにほう)と言うのだそうだ。さっそく、稲刈りに使うような小振りな鎌で切らせてもらう。
タンクのへりから垂れ下がっている三椏の細い部分を左手で握り、先から1/3くらいの所へ鎌の刃を当てる。
そして、左手を少しねじるようにして根本の方へ折り返し、切っていく。
切り取ったサキソは大きめのたらいの中に入れ、太くてしっかりしている原料は、鎌の横のすのこに置いていく。
そうしているうちに鎌のフタの間から湯気が出てきた。

「これから湯上げをするよ。」
そういって、すのこの上にある三椏を鎌の中へ両手でほぐすように
ぱらぱらと入れていった。
そしてしばらくあとに原料が浮いてきて、
小さな泡が出てきた頃、火を止めた。
「これで1時間ムラすんだ。うちの場合は雁皮を除いて楮と三椏はこの作業をするんだよ。
これをすることで本煮熟でのアクの吸いが良くなって煮えやすくなるんだ。」
「皮の状態によっても煮え方が違うんでしょうか。」
「そうだね。世界でも木の皮を原料にして紙を作るのは東南アジアだけだけど、
中でも日本は四季の関係で良質の原料が育つよね。
皮の状態としては黒皮、撫皮、白皮の3種類があって、あとのキズヨリの事を考えると
白皮で煮れば楽だけど、自分は、木の皮の要分をいかに紙に残すかによって、
紙の性格が変わってくると思うから、撫皮を使っているんだよ。
そして、白皮より撫皮や黒皮の方がアクの助成で煮えが良いんだよ。
あと、うちの紙で独特な物として、自家栽培楮を使っている”駿河柚野紙5号”
というのがあるんだけれど、これは黒皮のままソーダ灰で煮るんだよ。」
「黒皮のままって言うと、丸だきとは違うんですか。」

「全然違うんだ。”丸だき”って言うのは黒皮のまま苛性ソーダで煮て、
薬品漂白してあるものをいうんだけれどうちの場合は黒皮のままソーダ灰で煮て、
未晒の紙を作るんだ。キズヨリが大変だけどより純粋な紙を作ることが出来るんだよ。
そろそろ時間かな。本煮熟に入ろうか。」
釜のフタを取ると、もうもうとした煙が立ち昇った。
大きなフォークみたいなもので釜から原料を上げて、すのこに移す。
再び釜に火が入り、ゴーゴーという音が響き始めた。
「この釜は、バーナーですか?」
「そうだよ。灯油を使っているんだ。他に、ロストルっていう直火の釜があるよね。」
お湯が沸騰し始めた。ソーダ灰を入れてかき混ぜ、続いて原料を入れる。
しばらくして釜のへりからポコポコと泡立ってきた所で火を弱め、半分フタをした。
「火加減としては、自然と原料が動くぐらいがいいかな。
これで三椏の場合は、1時間後にサキソを入れて30分合計1時間半、
雁皮で2時間、楮は皮の状態によって違うけれど1時間〜2時間くらいかな。
皮が煮えているかどうか見て、良ければ火を止めてフタをして3時間ムラすんだよ。
そして、すのこに上げて、冷めたら容器に移すんだ。
三椏の場合は翌日アク抜きをするけれど、雁皮や楮は1週間
推積発酵したあとにアク抜きをするんだよ。」
「皮が煮えているかどうかはどうやって見分けるんですか。」
「それは皮を裂いてみるんだ。三椏は横に千切ってみて、
すんなり切れたらいいし、楮はタテに裂いてみてきれいなレース
みたいな網目状になってればいいんだよ。
雁皮は始めタテに裂いてみて、次に横に切ってみるんだ。」
「ところで煮るとき、ソーダ灰を使いますよね。
それ以外のもので煮ることはあるんですか。」
「うちの場合は、ソーダ灰でなければ木灰だな。昔はみんな木灰を使っていたけれど、
今では特別な場合しか使わないよね。
でも、木灰で煮た紙はとても柔らかくて、しかもしっかりとしているよね。
他に、石灰で煮ているところもあるよ。」
その日の作業は終わり、次はアク抜きとなる。
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